使ってるブラウザーがJave Scriptに適用されてません、しかし、ホームページの内容を読むことができます、プリントの必要がありましたら『Ctrl』キーを押しながら『P』キーを押すの方法でプリントして下さい。 国立台湾史前文化博物館-卑南文化公園-卑南遺跡-発見と保護
 
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::: 卑南文化公園 > 卑南遺跡 > 発見と保護

最初に卑南遺跡の記録を残したのは日本統治時代の学者鳥居龍蔵という人で、鳥居は四度にわたって台湾での人類学の調査を行い、卑南遺跡の地表石柱を2枚の写真に収めました。それは1896年のことだったようです。鹿野忠雄は初めて卑南遺跡を考古学的遺跡として研究した人物です。彼は1930年発表の論文の中で、無数の粘板岩の石柱が地表に突き出ていることを述べました。鹿野は近隣に住む卑南族の伝説から、かつてこの場所に古代の集落があり石柱はその住居の柱であったものであると推測しました。日本統治時代の50年間、学者たちの主な関心は地表の石柱に向けられました。1945年に金関丈夫・国分直一が初めて一番大きな石柱の周辺を発掘調査し、住居跡と土器が埋まっていることを発見しました。

光復後(日本統治時代が終わった後)卑南遺跡を訪れ調査する国内の学者は決して少なくありませんでしたが、更なる発掘は行われませんでした。1975年、臺東県は卑南遺跡を地方遺跡に指定、1979年には台湾地区三級遺跡に格上げされましたが、遺跡は保護されることはありませんでした。1980年には南迴鉄道卑南新駅(現在の臺東駅)の建設が始まり、千年の眠りから覚めた遺跡や遺物が姿をさらけ出し始め、ひどく破壊され、世論及び各界の遺跡への関心が高まりました。そこで臺東県は台湾大学の考古人類学科の宋文薫・連照美二名の教授に委託し、遺跡の保護が始まりました。遺跡保護作業は13次、9年にわたって行われ、大きな成果をあげ、発掘面積においても出土した石棺及び遺物の数量においても台湾考古学史上空前絶後の記録となりました。大量の精巧で美しい玉装飾品が時代を超えて現代に現れ、人々を驚嘆させました。卑南遺跡は台湾を代表する有史以前の遺跡であることは疑う余地がありません。

 

 

 



 
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アドレス:950-60 台湾臺東市博物館路 1号  電話:+886-89-381166
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